昨日はモチベーション、やりがいを実感したエピソードをブログJinaの沿革 ⑧ 【喜びと難しさの中で】で話しました。
仕事のやりがいとは別に、会社の営業方針や、社長以外全員が女性の歪な空気に
『このままこの会社で働いていていいのだろうか?』
と真剣に悩むようになりました。
幼なじみで、大阪と奈良で美容室を多店舗展開し成功している友人に、
「もう少しお安い価格帯の、美容室専門のオーダーウィッグってどう思う? できれば自分でやってみたいんやけど…」
と相談すると
「既製品のウィッグには限界があるし、いいと思う。応援するよ」
とのこと。
ただ、ウィッグの製造元をどうするか?
おまけに資金もない。
ウィッグのオーダー用紙に韓国のハングルが書かれていることを何度か目にしていたので、調べてみると、どうやら中国で製造しているらしい。それ以外全く目処が立たない。
すると、友人が取引先の美容材料デーラーの社長に、心当たりはないか、と声をかけてくれました。
実はそのデーラーの事業が一時期大変になった時、ほとんどの取引先が離れていったのに、友人の会社だけはずっと取引を続けたらしい。
その恩に報いたいと、自分の会社から独立し、北九州で美容学校に卸すカットウィッグを中国で作らせている美容材料デーラーの社長を紹介してくれました。
その北九州の社長は、紹介元のデーラーで働いていた時、自身のミスで会社に大損害をかけたのに、自分が独立する時、快く送り出し支援までしてくれた。
その恩に報いたいから、中国の取引先を紹介すると中国同行を了承してくれました。
友人は
「私も春枝ちゃんに恩がある。大変な時に何度も助けてもらった。その恩に報いたい」
と言ってくれ、
私も「応援するよ」と即答し
「お金がないならうちの会社でウィッグの事業部として始めればいい」
と言ってくれた友人の、温かい支援に報えるように頑張りたい。
恩に報いたいつながりの4人で、2004年2月、寒さ厳しい中国青島に出向きました。
私にとって、初めての中国本土、青島への渡航となりました。
当時、高層ビルが並ぶ近代的な青島の街を歩く女性は、ほとんどセピア色、地味なズボンと上着、髪は黒髪を束ねていました。
街を走る車はまだ少なくBMWなど高級車とボロボロの車が混在。
寒い冬に行ったからか、山は禿山、ほとんど緑がありません。
いかに日本が緑滴る大地か、お隣なのに全然違うと思いました。
元々の地質に加え、毛沢東の農業政策の失敗が大地を枯らしたとは、当時まだ知りませんでした。
薄汚い毛布を引きずる浮浪者もいて、通訳さんに
「共産主義の国なのに、ホームレスがいるんですか?」
と不思議に思い聞いてみたら、すごく普通に
「どこにでもいますよ」
と返事され、驚いたことを覚えています。
※この時点では『一党独裁資本主義』を理解していなかった。
明日Jinaの沿革 ⑩ 【海外で商談する時は】に続く〜