ヤングケアラー
そんな言葉を耳にし、若い時代に大変だなぁ
と心配しながら ふと
自身の経験を思い出しました。
少し重たい話になりますが、
お読みいただけると嬉しいです。
中学2年生の夏休み後(もう半世紀も前)
母が突然倒れた。
脳溢血
生死の境を彷徨い
一命を取り止めたけど
右半身付随 寝たきり
当時
介護は100%家族がする。
病状が厳しくなって救急車に来てもらい病院へ
でも落ち着くとすぐに
「治る見込みがない患者への空きベッドは無いので」
と自宅に帰される。
そんなことが何度もあった。
父は小さい工場を経営していたのが
24時間、母の介護に専念するため息子(長兄)に経営を任せた。
高校2年生の姉は
期待されながら頑張っていた卓球部をやめ家事全般を担う
中学2年生の私も土日は食事当番
今まで全ての家事を母がしてくれていたので
父も姉も私も右往左往
父は朝起きると、まず母の顔を洗い髪をとかし
それから自分の顔を洗う
日に日に不安がり、わがままになる母を
一度も愚痴をこぼすことなく
むしろ愛おしむ様にに根気よく接していた。
父の姿が目に入らなくなると不安がる母
「寝かしてぇ」
言った端から
「起こしてぇ」
頻繁に言ってくる母
父の10分の一も介護していなかったのに
それでも
私も姉も優しさが薄れて
「もう! いい加減にして!」
と声を荒げたことも度々
そんな場面を見ると 父は悲しそうに
「後で後悔するよ もっと優しくしてあげなさい」
と私たちを諭す。
父の心の中はどうなっているのか? 不思議だった。
ご近所のおばさんたちが
「すごいねぇ 春枝ちゃんのお父さんは
うちの亭主ならあんなふうに大事にしてくれない
お母さんは幸せやねぇ」
と口々に言う。
母は幸せ?
体が動かなくなり トイレすら自分で行けないのに…
紙おむつなどない時代
雨の日は部屋で乾かすおむつが臭う
クルクル手動で寝かしたり起こしたりできるベッドを購入
西洋医学に見放されたのだからと
有名な鍼灸の先生がいると聞くと家に招き
いい漢方薬があると聞くと処方してもらい
毎月50万円以上の医療費を父は払い続けた。
それでも回復することはなく
むしろ病状はどんどん悪化し
わがままは加速し言葉も話せなくなっていった。
昼夜逆転して
明るい昼間は安心して眠り
夜間は不安がって声を出し続ける
流石の父も 一歩も外出できず 母につきっきりで
眠れない夜が続き疲れ果てていた。
ある朝
2階の自室から両親のいる1階に降りると
ガス臭い
父がお酒を飲んで手首を切り
「お世話になりました。先立つことをお許しください」
と遺書を残して自殺を。
ベッドから怯える様に父を見ている母の顔
その時の光景は今も目に焼き付いています。
介護の苦しみは当事者の私たちにしかわからない
と思っていた。
でも私には父の苦しみがわかっていなかった。
昼間学校に行ける私と姉には
逃げ場があった。
父は命を取り止め母も無事だった。
父に申し訳ないと思う気持ちと
父に置いていかれたと感じる寂しさ
複雑な気持ちが残った。
あの頃 介護保険などなく
行政は何も助けてくれなかった。
母が亡くなるまでの4年半の介護生活
その間、徐々に人格破壊を起こしていく母を疎ましく思い
それが病気の症状とは知らずに
病気で本性を見せたと母を嫌い、
死後もその気持ちは変わらず
幼い頃の母に愛された記憶さえ消えてしまっていた。
ある日、安藤和津さんがTVで自身の母親の介護の経験を話されていた。
まるでうちの母と同じ
安藤さんも私と同じ様にお母様を憎みかけた
でも
それはお母様の本来の人格ではなく病気の症状なのだと教えられ救われたと…
※「“介護後”うつ『透明な箱』脱出までの13年間」(光文社)の本も出版されています。
安藤和津さんのお話に出会い
心の底から母に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
ごめんなさい ごめんなさい
母が一番辛かったのに
何十年も疎ましく思い続けた。
そう
父が言った通りの後悔
介護者にとって
環境は少しずつ良くなっているかもしれない
ただ
相談できる大人のいないヤングケアラーが多いらしい
私には父も姉もいた。
介護者が孤立しない社会になってほしい。
余談になりますが
母の長い髪が好きだった父
いつも美容室で綺麗にアップスタイルにセットしてもらっていた母
その母の髪を
介護しやすい様に、父がバッサリハサミを入れた時の
母の悲しそうな顔
ウィッグの仕事をする様になって
寝たきりでもウィッグを作りたいと希望するお客様が、時々いらっしゃる。
どんな状況になっても
少しでも綺麗でいたいと願う気持ちが自身を支えているのかもしれない。
アピアランスケア とは外見を補うことによって
病気や年齢に負けずに心身の健康を取り戻すことだと考えています。
以前 取材してくださった記者さんが
「明石さんのウィッグや髪にかける思いの根底に
お母様にしてあげたかった想いが隠れている様な気がします。」
と言ってくださったことがある。
その優しい言葉を思い出すと
今も涙が出る。
女性にとって大切な髪への想いを大切にしていきたい。
長々と最後まで読んでくださりありがとうございました。