子供たちとの生活を支えるために就いた仕事を、このまま続けるかどうか悩む心の中を、昨日のブログJinaの沿革 ⑦ 【元の髪と同じウィッグを】でも触れましたが、毎日の仕事の中で、嬉しい事もたくさんありました。
もちろん、お客様の髪を取り戻せたり、自然なウィッグの仕上がりに喜んで頂けることが一番でしたが、その他にも
店長の辞令が出た日、
「あんないじめみたいな嫌がらせに耐えて、頑張ってきた明石さんが店長になれたんやから、みんなでお祝いしよう」
とスタッフ全員に声をかけ、後輩カウンセラーのOさんが、自費でケーキを買って、お祝いしてくれました。
あの日のOさんの優しさ、誰よりも喜んでくれたNさん。そしてスタッフみんなの笑顔。
大切な思い出の一つです。
「いくらお金がかかってもいいから」
とお電話いただいた時の、あのお客様とは
その後、ウィッグのメンテナンスのたびに、文通のようにやりとりを続けていました。
「明石さん。一時退院で今日は学校に登校してきました。
親友にウィッグをつけていると話すと、目をまん丸にしてびっくりされました」
とか
「今日は学校の体育の授業で、バスケットをしてシュートを決めました。ぴったりのウィッグのおかげで走り回っても大丈夫でした」
とか、日々の些細な出来事を書き添えてくれていました。
入退院を繰り返す中、ある日、お母様から
「やっと退院ができると喜んでいるんですが、実は数値が良くなくて、二学期に間に合わないみたいで、かなりショックを受けると思うので、どう伝えたらいいか悩んでいます」
と電話で相談されました。
本人からは
「明石さん。やっと完全に退院できそうです。二学期からは休まずに学校に行けます」
と嬉しそうな手紙
「良かったね。おめでとう。ただ、退院が決まっていても、念のため、もう少し治療をと言われる事も多いらしいから、もしそう言われたら、ガッカリすると思うけど、しっかり治療を受けて乗り越えようね」
みたいなお手紙を、シャンプーブローしたウィッグに添えて返信しました。
その彼女が、高校の修学旅行で北海道に行けました。無事病気を乗り越え、私に『白い恋人』と、お母さんからの地元丹波篠山のお土産も持って、神戸店に会いにきてくれたのです。
その日は、たまたま大阪店に出向していて、せっかく訪ねてきてくれたのに会えなくて、とても残念でした。
「明石さんにウィッグを卒業した姿を見てほしかった」
と言ってくれたようです。
お客様と心を通わせた数々の思い出が、仕事を続ける一番のご褒美でした。
また別の機会に、心に残るエピソードの一部をご紹介したいと思います。
女性の髪の悩みに寄り添う仕事の大切さ、難しさ、喜びを感じながら、なんとか自分の気持ちに折り合いをつけようと模索していた日々でした。
明日のJinaの沿革 ⑨ 【始動は恩つながり】に続く〜