昨日のブログJinaの途上 1 【陰日向なく】
で紹介した2人以外にも、懸命にお客様のために働いてくれたスタッフが多くいます。その中の1人は、まだ新人の時に、ボランティアカットに一緒に来てくれ、1人で3日間多くの被災者さんの髪をカットしてくれました。
2011年3月 東日本大震災の時のことです。
宮城県の提携先トパーズ美容室に連絡をとると、やはり被災されていましたが、なんとかご無事でした。
「私にできることはありませんか?」
「まずは、東北に来て現状を見てください」
と話してくださいました。
トパーズさんは美容室営業に苦戦する真っ只中に、珍しく先方からお問い合わせを頂いたお店です。
嬉しくて、すぐに宮城県岩沼市にご説明に伺いました。
オーナーさんは
「遠い神戸から、こんなにすぐに来てくれるなんて!」
とびっくりされましたが、神戸空港から仙台空港まで
ひとっ飛び
元々、娘たちの体操の試合で、全国を飛び回っていました。
宮城県は、全日本選手権でも来ていたし、インターハイで隣の岩手県にきた時も宿泊は仙台でした。
ですから、遠いという実感は、あまりなかったのです。
そのトパーズさんのある宮城県も甚大な被害が…
実は以前、新潟で地震が起きた時、ボランティアカットに行かれている人のニュースを見て、
もし次に災害が起きたら、心配するだけではなく、必ず自分も動こう。と決めていました。
ただ、あまりにも大きな被害が出ている時に、行ってもいいのだろうか?
と迷っていました。
トパーズさんのその一言で、行くことに決め、
新人スタッフのTさん、上の娘、神戸の震災から立ち上がった経験のあるお客様と私の4人で、仙台空港が再開した直後の6月末に宮城県に向かいました。
数年前から所属していた、神戸センチュリーライオンズクラブの県会議員のMさんが
「闇雲に行っても何もできないよ」
と被災地に連絡を取り、ボランティアカットができる場所を
名取の仮設住宅2カ所、南三陸2カ所 石巻1カ所の5カ所を準備してくれました。
仙台空港につくと、隅にたくさんの海草やごみがこびりついた車が積み上げられ、TVの映像以上の迫力で、津波被害の大きさが伝わってきます。
レンタカーを借りて名取の仮設住宅へ
待ってくれていた人たちに、順にカットとハンドマッサージやネイルをしていきます。
3歳の女の子が、小さな爪をピンクにしてもらい、ニコニコはしゃいでいました。後に娘と同世代の、その女の子のお母さんから、
「あの頃、お洒落したいなんて、とても口に出せる様な状況ではありませんでした。あの日から娘は明るくなり、お洒落大好きな女の子に育ちました」
とお手紙をいただきました。
80代の女性が、
「津波は家も何もかも流してしまったけど、体育館に避難してた時は、テレビでしか見たことのない芸能人が、目の前で歌ってくれたし、仮設にきたら、あんた達みたいな人が、わざわざ神戸から来てくれて、カットして、生まれて初めてのネイルまでしてくれて、いいこともあるねぇ」と満面の笑み
「帰ったら今日から1週間、お米とがないってお父さんに宣言する!」
とピンクの爪を嬉しそうに眺めながら話してくれました。
この女性の東京在住の娘さんからも、
「母がおかげですごく元気になりました」とお電話をいただきました。
行く前は
「ネイルなんかで喜んでくれるかなぁ?」
と同行する娘が心配していましたが、命が助かり、少し落ち着いた頃には、お洒落に装うこと、綺麗になることで気持ちが明るくなり、前に向く助けになることを、この時の皆さんの笑顔で実感しました。
翌日は南三陸町へ
長閑で平和な山間部を抜けると、いきなりごそっと町ごと津波に襲われて、鉄骨むきだしのビルには車が
TVで何度も見ていましたが、実際に何もかも流された町並みを見ると、4人とも一言も言葉が出ず、ただ涙が溢れました。
南三陸町の端、小高くなったところに、奇跡的に流されなかった家が数軒、その家の方が自宅を会場に貸してくれました。
皆さんを笑顔で迎え、私たちのために炊き込みご飯まで準備し甲斐甲斐しくお世話してくれましたが、帰り際に
「実家が下にあって、母も流されたんです。津波が来るとわかっていたから、足の悪い母を二階の部屋に上げて、お茶や食べ物を準備して帰ってきたんです。まさか、あんな大きな津波がくるなんて思わなかったから〜 兄が母を助けに行って、2人とも流されてしまいました。 私があの時、おぶってでも引きずってでも連れて来ていたら」と声をつまらせていました。
助かった人たちも、それぞれに大きな傷を抱えているのだと思うと、かける言葉が見つかりませんでした。
この時の写真もYahooブログと一緒に消えてしまい、本当に残念です。
明日Jinaの途上 3 【神戸からの被災地支援】に続く〜