昨日のブログJinaの始動 Ⅴ 【貴女見てたの?】の様なこともありながら、なんとかお客様に協力していただいた資金、分割にしてもらった開業資金の全てを、無事返済し、少しずつ信用を重ねていきました。
そして全額返金を済ませることができると、心の中は一気に軽くなり、『私もなかなかやるやん!』と、後に教えられる『創業者の陥りやすい罠』に…
銀行から融資を持ちかけてこられ、しかもベンチャーマーケットの代表なので、無金利の県の制度融資も使えると勧められ、こんな好条件でお金を借りられるのは信用がついたから、とすっかりその気になっていました。
その頃の私は、せっかく無借金になれたのに、融資を受けるのは、事業を拡大するチャンス、お客様のためという視点さえズレていなかったら大丈夫、また順調に返せると思っていました。
そんな大きな気分のある日、お客様との会話で、
「エステもネイルサロンも、どれも頭をじろじろ見られるような気がして、行ったことがない」
と聞き、
そうか、エステもネイルもお客様が綺麗になるためのもの
ウィッグでも気にせず通えるエステを私が作ろう!
アメリカのFDAで認可を受け、エビデンスがしっかりしている痩身の機械、リポライトを使ったサロンを出しませんか?と持ちかけられ、調べると600万円もするけど、エステの機械は本物はそれぐらいするし、まだ世の中に出回っていないこれからの機械らしい。
東京の輸入元に問い合わせると神戸まで説明に来てくれました。
購入後の償却の試算、売上のイメージ、リポライトの痩身と、美顔、ネイルもできるサロンなら、Jinaサロンのお客様にも喜んでもらえそうだと考え、同じビルの階違いにエステサロンを開業することにしました。
エステの雰囲気に合うようにイタリアの家具を購入、高級なコルクマットを床に敷き詰めたり、開業資金に余裕があったのでウキウキ準備を始めました。
幼なじみで信用のできる親友に、エステを任せるスタッフとして来てもらい、スタート。
あの大切な着物を持ってきてくださったK様が、貴女が始めるのだからお祝いがわりにとコースで契約して下さいました。
他のお客様も何人かは、お祝いがわりに契約してくれました。
お試しから新規も取れ、順調に進んでいたはずが、そのうちリポライトの紛い物が出始めました。値崩れが始まり、当然、評判も落ちていきます。
エステの世界ではよくある話だとは、後に知ることになります。
雲行きが怪しくなってきた矢先の2008年
アメリカでリーマンショックが〜
その激震で経済が弱っていく真っ只中に、今度は、新型インフルエンザ騒動が、神戸から始まりました。
連日TVでは三宮駅のマスク姿の写真が映し出され
かかってくる電話はキャンセルばかり
「家族から、今神戸に行くのは危ないと反対されています」
と、まるで神戸は戦場扱い
このままキャンセルが続くと持ち堪えられない。
このエステは後に撤退することになります。
ユニクロの柳井さんが新しいことに挑戦するときは
「1勝9敗」が当たり前と話されています。
「失敗を恐れずに次々と新しいことに挑戦しろ」
と社員に勧められていますが、
私にとってのこの負けはきつく、じわじわと重い負担になっていきました。
行き詰まった気持ちでいると、兄が200万円を持ってやって来ました。
「毎月返せる額を自分で決めて、返してくれたらいいから」
「えっ? なんで?」
「何にも言わんでも、お前の顔を見てたら大変なんわかるよ」
自分で事業をして何度も苦境を切り抜けて来た兄には、お見通しだったようです。
兄は優しい、そして厳しい。
おかげで、後に約束通り、返済を終えました。
1ヶ月ほどして、産経新聞に記事が出ました。
新型インフルエンザ騒動の直前に取材に来て下さった記者さんは、実は私の出身校の近く、大阪芸大出身で
富田林高校出身の人が、女性起業家大賞の特別賞を〜
と気になって、取材に来てくれていました。
そして、こんなに素晴らしく書いてくださり、ありがとうご
ざいます。
新型インフルエンザ騒動も落ち着きだし、
新聞を見た方からの問い合わせ電話が、次々にかかってきました。
なんとかこの時のピンチは、産経新聞の記事に助けられました。
近畿一円からのお客様が、神戸まで通ってくださるようになりました。
消費税が上がり弱っていた経済の真っ只中の、今年の新型コロナ騒動は、神戸だけでなく、世界中をピンチに陥れている。
あの時以上の危機ですが、
チャンスは、自分で作るしかないのかもしれません。
Jinaの始動 完
明日からJinaの途上 1 【陰日向なく】が始まります。
Jinaの沿革 ①【離婚からの自立】
Jinaの始動 Ⅰ 【オープンの日】
と順に読んでくださった皆様。ありがとうございます。
頭を打ったり、躓いたり、いろんな人たちに助けられながら進むJinaの今後を、引き続きお読み頂けると嬉しいです。