Jinaの始動 Ⅵ 【創業者の陥りやすい罠】から、産経新聞のお陰で、なんとか息を吹き返したJinaサロン
開業より丸5年が過ぎ、6年目に入っていました。
しみじみ
よく持ち堪えた・・・と
その間、元大阪店の技術部長で立ち上げから一緒に頑張ってくれたMさんが、
息子さんの病気が悪化し、止むを得ず退職し、神奈川に戻ることになりました。
Mさんは、アートヘアー 破産の後、急遽、友人に用意してもらった社宅に移り、
Jinaオープンを機に神戸のマンションに越していました。
そして、神奈川へ戻るための引っ越しを手伝いながら、
元技術部長だったにもかかわらず、陰日向なく、雑用から、在庫管理まで、
一生懸命働いてくれたMさんへの感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。
その後のJinaの技術強化に、Mさんのように高い技術で陰日向なく働いてくれる人は?
私の知る限り、ウィッグの技術で、この人以上の人はいないと確信する、
元アートヘアー で本社の技術部長だったHさんに来てもらいたいと考えました。
一時期、一緒に仕事をしたことがあるので、技術だけではなく、
人柄の素晴らしさも知っていました。
Hさんもイエスマンではなかったので、社長についていかず、当時、別の仕事についていました。
横浜まで出向き、三顧の礼ではありませんが気分は劉備玄徳?
だったかもしれません。
「私を助けてください。H部長の技術をそのままにしておくのは、もったいな過ぎます」
と誠心誠意懇願して、神奈川から神戸に来てもらいました。
Hさんも、陰日向なく、自ら仕事を作り、本社の幹部社員だったプライドなど一切感じさせず、
懸命に働いてくれ、本当に助けられました。
新型インフルエンザ騒動が収まっても、前年のリーマンショックの影響で、経済は冷えたまま。
本体の美容室とウィッグも厳しい状況でしたが、エステサロン開業の負債が重くのしかかっています。
バブル時代は遥か遠く、デフレスパイラルが続く日本経済
【多大な広告費や経費をかけずに、美容室と提携して、高品質なオーダーウィッグを大手の半額以下で販売】
このビジネスモデルを拡大しきれないまま、日々が過ぎていきました。
おかしいなぁ
お客様も 美容室も Jinaも
みんなが幸せになれるトリプルWinのモデルなのに・・・
2010年、1月 地元神戸新聞に取り上げてもらい
新聞からの問い合わせで、個人のお客様は少しずつ増えていきました。
新型インフルエンザ騒動はともかく、エステサロン開業に踏み切ったのは、
素人の冒険で、間違いなく私の判断ミスでした。
エステサロンは撤退し、またもやマイナスを背負っての挑戦開始です。
明日Jinaの途上 2 【東日本大震災が〜】に続く〜